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Translate会長挨拶
目の前の患者さんのために懸命に取り組む姿勢は第三内科で学びました。この精神を沖縄県医師会に活かします。
医療法人麻の会 首里城下町クリニック 第一・第二理事長
田名 毅 TAKESHI TANA
1990年入局の 田名 毅 です。
2001年に医局員としては一番早く開業したこともあり、初代の第三内科同門会会長を仰せつかり現在まで継続しています。そして、2024年の沖縄県医師会代議員総会で沖縄県医師会会長を拝命しました。同門会で多くのことを学び、そして医師会活動に取り組んできたことが今回のことに繋がったと考えています。第三内科の皆様、同門会の皆様には心から感謝しております。
私が卒業した時は現在の研修医制度はなく、すぐに第三内科に入局し9階東病棟で新卒の医師として診療を開始しました。同期の医師が9人いましたので、主治医として担当する入院患者さんは常時5~6人だったと記憶しています。沖縄県立中部病院で研修を開始する親しい大学時代の同級生が多く、彼らが救急外来、病棟でたくさんの患者さんの診療にあたっているという環境とは全く異なるスタートでした。しかし、その分私は当時の指導医の先生方から「数をこなせばいいというものではない、一人ひとりの患者さんを丁寧にしっかり診察しなさい」と指導を受けていました。回診の前日には医学部図書館に行き、症例に関する最新の論文を探して、教授回診の際に自分が学んだことをアピールしたりしていました。同期が多かった分、負けないぞという気持ちが強かったかもしれません。医師になって最初の2年間をスローながらも深い研修が出来たのは私にとってその後の医師人生の在り方の基礎となったと考えています。2年目の最後の3か月は沖縄県立中部病院で救急外来2か月、麻酔科1か月研修しましたが、内科医として考え方の基本は出来ていたためか、それぞれの診療科の要点をしっかり学べた記憶があります。
その後は県立那覇病院で1年間の勤務、九州大学での大学院時代、琉球大学に戻り腎臓内科医としての修練時代を経て、開業したわけですが、今でも一貫してもっていますのは第三内科で培われた「目の前の患者さんのために自分に何が出来るか」という哲学でした。
そして、今回沖縄県医師会会長になりましたが、この哲学を決して忘れることなく、自分が関わることが出来る対象の方々が一患者さんから、沖縄県民に広がったと考えて「医師会にしか出来ないことは何か」と常に自問自答しながら、取り組んでいきたいと思います。
楠瀬先生をはじめとする第三内科の皆さん、同門会の皆様、沖縄県ひいては日本の医療における課題に共に取り組んでいきましょう。