教室の歴史

第三内科研究の沿革

1.1984-2000、初代教授 柊山幸志郎

琉球大学医学部内科学第三講座は1984年4月に開講した。西原町に新しく建設された附属病院が開院したのは同年10月で、当初400床で診療が開始された。翌年、200床増床の認可を受けて、診療科としての第三内科が公式に発足した。9階東病棟に50床が配分されたが、それまでは8階東病棟(脳外科と眼科の病棟)に間借りして細々と診療を行った。

開講当時の模様は開講十周年記念誌に述べている。国立大学として最後のナンバー内科を創設・主宰するにあたり、循環器病、腎臓病、神経疾患を専門とする診療科を標傍して教育、診療に携わることが求められたのは、それまで高血圧を中心に診療や教育、研究を行ってきた私にとって好都合のことであった。治療が奏効しなかった場合の高血圧症の終末像は脳、心、腎の血管合併症であって、高血圧者がどの終末を迎える危険があるのか、これら合併症の予測因子の研究は、高血圧の成因研究とともに解決すべき重要なテーマである。

九州大学やクリーヴランドクリニック研究所でおこなってきた血圧の中枢神経性調節、なかでも高血圧の神経性発症機構についての研究も継続し、J.C1in.Invest.やAm.J.Physiol.、Brain Res.など多くの一流雑誌に掲載された論文として結実した。また食塩文化を持たないヤノマモインディアンの血圧にヒントを得て、自然高血圧発症ラットに低食塩食を与えて継代飼育した場合、血圧は変化するのか、つまり遺伝と食塩に関する研究もすすめた。高血圧自然発症ラットでは、遺伝性の神経性血圧上昇機構が食塩感受性よりはるかに強力であることを突きとめ、Hypertensionなどの一流誌に公刊できた。

実験的研究とともに臨床の一例一例を大事にして症例報告を重ねていたが、なにか物足りなさを感じて高血圧の臨床研究計画を立てようと考えていた。その矢先に、厚生省指定研究「63指-1循環器疾患の長期フォローアップシステムの構築」に関する研究班に参加する機会が訪れた。これは恩師の尾前照雄国立循環器病センター名誉総長(当時院長)の推薦によるものであり、第三内科の臨床研究の流れを決定付ける一大転機となった。
沖縄は海に囲まれて人口の移動が少ないことから、疾患診断の確実性と全員登録を担保できるように組織をつくり、脳卒中と急性心筋梗塞の悉皆調査を実施することとした。県立病院をはじめ沖縄全島の国・公・私立病院、県医師会所属の医院診療所、県環境保健部・保健所、琉球大学病院および医学部法医学教室からなる「沖縄の脳卒中・心筋梗塞発症登録研究協議会」を発足させ、1988年4月1日から1991年3月31日までの3年間に発症した脳卒中4,523例と急性心筋梗塞1,021例を登録することができた。すべての症例について、脳卒中は厚生省研究班の診断基準により、心筋梗塞はMONICAの基準により、琉球大学第三内科の医師がカルテや検査資料を閲覧して診断を確認した。悉皆性の確認が最大の懸案事項であったが、八重山保健所との共同調査により、死亡小票と登録例の中の死亡者を照合することにより検討し、97.7%の高い一致率であることを確かめた。本研究には全ての医局構成員が参加した。調査成績は国内のHypertens.Res、Inten.Med.などの学会英文誌に原著として発表した。残念ながら欧米の一流紙には掲載されなかった。それは対象が122万人とこれまでにない大規模の疫学研究であるので、population surveyというよりhospital-based surveyであるとして悉皆調査に疑問を投げかけられたことが大きな理由であった。公刊までに時間を費やすことになったが、Lancetのeditorial commentに取り上げられるなど、国内外の反響を呼ぶことはできた。この研究は、わが国の脳卒中と急性心筋梗塞の発症率を明らかにするとともに、「健康日本21」に詠われた心血管合併症の削減数値目標の資料として活かされている。
脳卒中や心筋梗塞は癌とともにわが国の三大死因となっているが、発症者の予後を地域集団について調べた成績はない。急性期治療が進歩した今日の高齢化社会において、長期予後の研究は医学のみならず社会経済的にも大変重要なことである。上記登録症例を追跡し、脳卒中、急性心筋梗塞の10年生存率や死因調査を行った。今後、成績を公刊できるものと思う。

平成元年に井関邦敏講師が九大から赴任したのを機に、沖縄県下の透析患者を全員登録し、長期追跡研究を開始することとした(OKIDS Registry)。教室としては、これによって高血圧の標的臓器である脳、心、腎の疾病について、横断的あるいは長期縦断的臨床疫学研究を遂行できる体制が整った。末期腎不全の基礎疾患、発症率、予後、予後規定因子など多角的な研究成績が、Kidney Int.やAm.J.Kidney Dis.など一流誌に数多く掲載された。なかでも、腎不全への移行に対する血圧の影響を検討した論文は、WHO-ISHの高血圧治療ガイドラインに引用されている。

いわゆる生活習慣病は、遺伝素因に環境因子たる食生活をはじめ諸々の生活習慣上の因子が重なって発病する。心血管病についても予防に勝る治療法はないのであって、脳卒中や心筋梗塞、末期腎不全の一次予防研究のために、発症危険因子を特定しようと考えた。欧米にはフラミンガム研究をはじめいろいろの優れた研究があるが、人種や生活環境の異なるわが国において、これら欧米の研究成績をそのまま取り入れるのは躊躇される。幸いなことに沖縄総合保健協会が1983年以降の住民検診成績をコンピューターに保存していることを知ったので、これと脳卒中と心筋梗塞、末期腎不全の登録データを照合して規定因子を同定する作業をすすめた。血清コレステロール値は5ないし7年後の心筋梗塞発症と正に、脳出血と負に相関すること、血清コレステロール値と末期腎不全発症とは相関せず、蛋白尿がもっとも強い規定因子であることが判明した。これらの成績はC1in.Exp.Nephrol.やJp.Circ.J.に掲載された。

外来や入院症例についての臨床研究もすすめ、幾つかの論文ができた。その中で、わが国を代表する高血圧研究施設と共同で行った老年者高血圧の治療の実態とADLの変化に関する調査は、わが国の専門家による治療の現状を浮き彫りにしたものである。わが教室が中心になって成績をまとめ、数編の論文を公刊した。本邦の高血圧治療ガイドライン2000年版に引用されている。

この16年間を振り返ると、歴代の助教授をはじめ、教室員全員が力を合わせて研究を続けてきたことが、鮮やかに想い起こされる。江藤助教授は草創期の教室の基礎固めに尽力した。瀧下助教授は基礎、臨床両面にわたり教室独自の研究を始めるのに大きく貢献し、現在に至る展望を切り開いた。瀧下君は国立循環器病センターに転出後も、教室の若手をレジデントとして受け入れ、臨床や研究の指導に力を尽してくれている。現在、教室では村谷君が助教授として後進の育成に情熱を注いでおり、彼の指導により多くの学位論文が完成した。また、井関君は血液浄化部助教授としての職務を全うする傍ら、OKIDSを国際的な臨床疫学研究に育て上げ、沖縄県内の腎臓病専門医、透析医のネットワークを作ってきた。その他の若手も教育や診療で忙しい中、研究に励んでくれた。よい教室員にめぐまれたとつくづく思う。

医学も一科学であるが、「そこに山があるから登る」式の研究はそぐわないと思う。研究の先には、人類への福祉が見えなくてはならない。近代科学は良きにつけ悪しきにつけ、国家管理を受けて発展してきたし、これからもそうであろう。しかし、医学においては、決して人の倫理からはみだした研究を行ってはならない。生命科学はさらに発展し、21世紀には遺伝子レベルの診断や治療が一般化されようが、臨床疫学というヒトの集団全体の本質にせまる手法はどんな時代にも適合するものであろう。沖縄に来て、良き教室員と共に臨床疫学研究に従事できたのは幸いであった。

(柊山幸志郎教授退官記念業績集より)

 

2. 2000-2009 第二代教授 瀧下修一

2000年3月末に初代教授柊山幸志郎先生が定年退官され、8月16日に瀧下が国立循環器病センターから後継者として赴任した。そして、本年3月末の定年までの在任期間は8年8ケ月弱であった。私が1988年4月から1995年6月まで柊山教授の助教授として務めたことから、研究領域は概ね柊山教授時代の流れに沿うとともに、新しい領域を目指した。この間、2002年3月まで村谷博美助教授、2002年4月から現在まで大屋祐輔助教授および血液浄化療法部に転出している井関邦敏助教授が中心となって若手教室員や同門医師の研究の指導と育成に力を注いできた。主な研究領域は疫学研究、診療グループ(腎・高血圧、循環器、神経)による臨床研究および介入試験、実験的研究、先進医療の開発である。

疫学研究は柊山教授時代に定着した。沖縄循環器疾患発症率調査研究会(COSMO)、沖縄透析研究会(OKIDS)を主宰し、(財)沖縄県総合保健協会の協力を得て、3つの調査データを相互に組み合わせることによって、横断的および縦断的解析を行い有用な成績が得られている。高血圧発症の危険因子、末期腎不全の危険因子のほか、心血管病発症の危険因子としてのメタボリックシンドロームや慢性腎臓病(CKD)との関連での解析を進めた。主な成績は、末期腎不全の危険因子:クレアチニンクリアランス、高血圧、蛋白尿、高尿酸血症、空腹時高血糖、肥満など、蛋白尿の危険因子:肥満、内臓脂肪など、高血圧の危険因子:血圧高値、高血圧の家族歴、肥満、蛋白尿、血清尿酸高値、高心拍数などが得られた。また、メタボリックシンドロームはCKD発症に関連し、CKDの軽度の段階から脈波伝播速度の亢進がみられた。これらの成績は、肥満、高血圧,CKDが相互に関連して 動脈硬化の進展、心血管病に至ることを示唆しており、長寿県沖縄の危機の克服に向けての重要な資料を提供することとなった。また、1988~1991年に施行されたCOSMO研究の資料を新しい観点から解析した。脳卒中の短期予後と入院時血圧との関係で脳梗塞ではJ字型を示し、発症前高血圧者の死亡が最低になる血圧値は非高血圧者に比し約20mmHg高いことが判明した。これは、現在、欧米で進行中の脳卒中急性期血圧管理介入研究の試験デザイン資料の一つとなっている。COSMO研究は全県を対象としたが、個人情報保護法の影響、マンパワーの問題から規模を縮小して脳卒中発症率の変化を調査した。COSMO研究から14年後の2002~2005年の3年間宮古医師会の協力を得て行った調査では、脳出血は減少したが脳梗塞が増加し、とくに50歳代での増加と背景にメタボリックシンドロームの関与を示唆する所見が得られた。具体的な警鐘となる成績でありさらに解析中である。沖縄疫学研究の成績の一部は曰本高血圧学会高血圧治療ガイドラインや曰本腎臓学会CKD診療ガイドラインに引用されている。

臨床研究では実地診療に結びつく研究が多い。降圧薬治療の改善とくに利尿薬低用量の意義についての研究および介入試験への関与、IgA腎症の治療、慢性透析患者のcalciphylaxisに対するthiosulfate Naの有用性、慢性透析患者の予後に関する種々の因子、心筋症の増悪因子、頚動脈超音波検査および大動脈脈波速度と脳卒中発症・病態との関連の研究などであり、それぞれ成績を公刊するとともに継続中のものも多い。IgA腎症に対するステロイドパルス、アンジオテンシン受容体拮抗薬(ARB)、扁桃腺摘出による治療を集約的に行い、よい成績が得られている。腎生検による血管病変と影響因子との関連の研究も進んでいる。透析患者の降圧治療に関してはエビデンスがなく、井関准教授を研究代表者とするARBの有用性を検討する大規模介入試験(OCTOPUS)が進行中である。沖縄野菜の有用性について衛生学・公衆衛生学分野と共同研究を行っている。健康成人に無作為割付けによる介入で血圧低下、血管内皮前駆細胞の増加がみられ、積極的な摂取を促す成績である。

実験的研究では、中枢性循環調節に関する研究が柊山教授時代から継続して行われた。

SHR-SPの第一染色体の一部をWKYに移したコンジェニックラットで無麻酔無拘束下に腎交感神経活動を記録し、ストレス刺激時に過剰な交感神経反応と脳内アンジオテンシンⅡの関与を確認した。新たに、大屋助教授の指導のもと高血圧性臓器障害と酸化ストレス、PPARγとの関連について一連の研究が行われ、多くの成果が得られた。血管内皮前駆細胞の分化に関する研究も並行して行われた。

先進医療開発にもつとめ、末梢動脈閉塞患者におけるG-CSFを用いた血管新生治療を開発しよい成績を得ている。また、1例の症例報告から始まった家族性地中海熱に関する遺伝子診断は全国から症例が集積し、本邦における家族性地中海熱の遺伝子診断の意義が確立した。

在任期間8年8ケ月弱のうち、医学科長を2年間、附属病院長を4年間務め、教室員との接触時間が十分でなかったことは否めない。そのような中で、助教授(准教授)を中心に多くの教室員が臨床に直結した研究に励み、成果を挙げてきたことに感謝したい。とくに、2007年の第30回曰本高血圧学会総会の会長講演で沖縄疫学研究の一部を話すことができたのは幸いであった。2004年からの大学法人化によって過重な診療業務を強いられており、私自身が病院長として強いてきた側であるが、臨床研究を行い難い状況になりつつある。今後は、若い研修医、専門医にリサーチマインドをもたせ、研究の意味と楽しさを味わい、成果を国民に還元できることの素晴らしさを感じてもらう環境づくりが急がれる。大屋准教授をはじめ複数の教員がそのような方向性に向けて努力されつつあり、少しずつでも実を結ぶことを願っている。

(瀧下修一教授退官記念業績集より)

 

3. 2009-2023 第三代教授 大屋祐輔